作品/解説/し/た/ところ/で

はなしたところで(落花有意/Talked)」は、NTT ICCにて開催された企画展のためのデータビジュアライズ映像作品。

都内に暮らす複数のカップルの会話履歴を解析し、やりとりする人間の「ちがい」を3つの視点で表現しています。

本記事では、作品中の映像で表現される「2018年の東京」の話題を中心に、作品の解説を行います。

(技術について解説した記事は、こちら

本記事について

前述の通り、この作品はNTT ICCにて開催されている「特別展 OPEN STUDIO リサーチ・コンプレックス NTT R&D @ICC 「“感じる”インフラストラクチャー 共感と多様性の社会に向けて」のための作品です。

こちらの企画展では<“伝わらなさ”という視点を用いて「伝える」という行為自体を考える>事がテーマとして与えられ、各作家が作品を展示しています。

グループ展として他の作品ではコミュニケーションの根源的な要素や未来の姿を見せる中、「現在」という視点をもって取り組んだ作品であり、「今を生きる人々が日常的におこなうやりとりのデータ」を題材に制作を行いました。

コミュニケーションのデータの“いま性”を問うというのは、「時代も変われば、コミュニケーションの姿も変わるのではないか」という仮定を置いて導かれた結果でもあります。

時代が移り変わる中で、社会も変容し、人々の価値観も変われば、彼らの思いを乗せるツールも変わっていきます。

この流動的な世界・そして私たちのコミュニケーションの形を描くために、映像では「現在の日本、とりわけ人が交錯し、日々景色が変化する再開発中の渋谷」を中心に、二人の人物のイメージを映していきました。

本記事では、作品の映像を担当したフォトグラファーの稲垣謙一氏へのインタビューを通して、《ある時代の、ある街を撮るということ》、《渋谷ストリームと新国立競技場の2018年東京》、《無意識をイメージに変換すること》について作品の舞台裏を紹介しながら、考察を行います。(聞き手/テキスト:浦川)

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《ある時代の、ある街を撮るということ》

ーまずはじめに「とにかく今の渋谷の映像を撮り溜めてほしい」というとてもざっくりしたお願いをして、実際に撮っていただくところから撮影が始まりました。その時に意識されたことなどを聞かせてもらえますでしょうか。

結構漠然と撮っていた感じはします。そもそもが漠然としたお願いだったということもありますが(笑)。

まず「これは渋谷の映像をスナップ的に撮る」っていうことかと解釈して。スナップという手法は、もちろん明確な目的があって、そのために撮られるものもあるとは思うのですが、<漠然にかつ大量に撮った後で、取捨選択をする>ようなものでもあるかなと思っていて。

撮った時には意味がなかったけれど、後で見返して意味が出てくる。そんなことが、今の渋谷を撮る上でも重要なのかなと。

とはいえ、いま一番変わっている渋谷を撮るのがやはり良いだろうということで、とりあえずそんな場所に身を置くことは意識しつつ、ただカメラを回してみるということから始めてみました。

ー確かいただいた映像の最初のカットは、渋谷から歩いていける、稲垣さんの家の前の風景からでしたね。

そうでしたね。家の近くにあるカバーの掛かったバイクから始まって、街へ出ていくという。

ーそこから視界を広げていくというか、本当に普通に家を出る感覚で撮られていたのかなと。

そうですね。ただいつもより景色が「見えていた」ような感覚はあって。例えば松見坂から駅に向かって車の往来が徐々に増えていく感じが印象的で、そういった自分の気になるものをまず撮っていくというところから始めてみました。

ーヒカリエの展望台から渋谷を一望する風景なども撮られていましたが、全体的にクローズアップした画が多かった印象もあります。その辺りは何か意識されたのでしょうか。

それは完全に好みの問題というか、普段の写真の撮影では「ブレないもの」を撮ることが多くて。

単純にカメラがズームすると当然手ブレも多くなるんですが、それを面白がっていた感じです。写真では抵抗があるけれど、映像ではアリかなということも思ったりして。

そういったあまり普段やらない撮り方を試してみたりしながら、とにかく街へ出て、特別意識せず気になるものを面白がりながら撮るということをやっていました。そこから自然に街の姿を映していく、ということを試みています。

《渋谷ストリームと新国立競技場の2018年東京》

ー作品では、再開発が進む渋谷ストリームと、現在建設中の新国立競技場の近辺を歩くふたりの女の子がやりとりしているという設定で、実際に2ヶ所で撮影をしました。その際に感じたことなどはありますでしょうか。

そこでもやはりあえて何かランドマーク的なものを撮ったりはせず、人物との構図を考えながら自然に撮るということをやっていました。

ただやっぱり、国立競技場は良かったですね......あそこはいいです。デカいっていいですよね(笑)。

それから<そっけなさ>があるというか。まだ建設中だから当然ですけど、「なにもないな」という。

ーその場所にいる人間にまだ開かれていない、まだ生まれていないという感じはありましたね。

そうですね。その「まだ全然、なんもない」の良さというか。それが印象的でした。

ー一方で、渋谷ストリームはすでに人々に開かれています。

はい。ただまわりはまだ開発中だったりして、作り途中のものもあれば取り壊されるものもあって。まだあんまり馴染めていない感じというか、街としてまだチグハグな感じを残しているのかなっていう。

ーたしかに、撮影日は雨でしたが、近くにあるエレベータ前も傘をさして待つ人で人だかりになっていたり。普段あまり見かけない光景がありました。

はい。みんなもまだ戸惑っているような感じがありましたね。ただそこは僕は好きです。「いま」らしくて、それはそれでいいなというか。

《無意識をイメージに変換すること 》

ー第2部では、<やりとりをする二者間で無意識に浮かぶ言葉>の可視化をおこないました。ここではどのようにして映像を撮っていきましたか。

これは、膨大な言葉のリストを渡されましたね(笑)。

ーはじめに100以上に上る単語のリストを渡して、これに合う映像を撮ってほしいとお願いしました(笑)。

はい(笑)。あれはもう完全にしらみつぶしで、単語のイメージを撮っていくような。

ただそこまで、撮影自体は言葉に左右されるということはなかったです。「そのまんま」をやりすぎるというのも、芸がないというか、ギャグっぽくなってしまうというか。

ー自由に撮ってもらいつつ、私の方で言葉と照らし合わせていくようなこともしました。

そうですね。そこは観る人にもイメージを任せてもいいのかなっていう。イメージをこちらで断定し過ぎてしまうと、こちらの意識が入ってきてしまって、観る人にとって逆に妨げになるというか。

ー例えば「いる」という言葉について、登場人物の女の子が座っている後ろ姿などがありました。一方で、「くる」などは特に何かくる対象が定まっているわけではなかったり。

はい。それぞれの言葉にそういった「余白」を用意することで、無意識のイメージが喚起されるようになっていますね。意識せず頭にのぼるイメージというのは、当然意識的にみた映像そのままではなく、無意識にみたものを振り返るようなものだとも思います。そういう意味でも、言葉にとらわれない映像が逆に撮れたのではないかと思います。

ー最後に、特に観てほしいシーンなどはありますか。

やっぱり国立競技場ですね。今しか見れないのものなので。

「いまこの社会に暮らす私たち」のコミュニケーションを解析する事で<伝わらなさ>を考えるこの作品。

2018年の東京を考える上で、現在でしか持ち得ない視点を与えるような作品になれば幸いです。

ディレクション,データ解析,プログラミング:浦川通(Qosmo/Dentsu Lab Tokyo)

出演:薫子金定和沙

映像:稲垣謙一

音楽:澤井妙治

アート・ディレクション:岡村尚美(Dentsu Lab Tokyo)

ロゴ・デザイン:畑ユリエ

企画監修(一部・二部):渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)

協力:suzzken